アフリカに生きた奇跡の外科医「谷垣雄三物語」出版

外科医「谷垣雄三物語」が、㈱国際開発ジャーナル社から先般発行された。
「現代の野口英世物語」として感慨を持って一気に読んだ。
京丹後市峰山町出身の谷垣雄三君は、医師として35年間アフリカ・ニジュールで貧しい人々の医療に尽くし、2017年3月75歳で生涯を閉じた。

♪ここに中学・高校時代を共に過ごした級友の視点で、手持ちの写真を中心に「写真で綴る谷垣雄三物語」を編集した。

奇跡の外科医[谷垣雄三物語」…現代の野口英世物語 
谷垣医師はニジュール国の医療独立を願ってテッサワに住み、1992年及び2001年に私財を投げ打って118ベッドの病院を建設。
■①物語誌発刊.JPG
▲外科医養成を計りながら、お金のかからない医療を目指して18年間で計12.000件を超える手術を行なった…1999年には、静子夫人が現地で風土病にて逝去。
(略歴)
1960年:京都府立峰山高等学校卒業
1967年:信州大学医学部卒業(医師国家試験を3回ボイコットの末、合格)
1982年:JICAからニジュール派遣…医療専門家としてニアメ国立病院に赴任
1992年:ニジュール国テッサワに自費でパイロットセンタ建設し、医療活動開始
1994年:「読売国際医療功労賞」受賞
2008年:「シチズン・オブ・ザ・イヤー賞」受賞
2009年:「第16回読売国際協力賞」受賞
2010年:「京都オムロン・ヒューマン賞」と「公益財団法人社会貢献賞」受賞
2017年:逝去(75歳)…テッサワの現地で、静子夫人の墓の横に埋葬される。

谷垣夫妻の墓地…協力者・理解者だった妻を1999年、風土病で亡くした。
●テッサワの自宅(現「マダム・シズコ保健センター」)内に永眠する谷垣夫妻
 (写真は本誌「谷垣雄三物語」から)
■②谷垣夫妻の墓地.JPG
▲2017年3月7日…看護士が業務報告中に谷垣先生は発作を起こされ、救急介護のかいもなく亡くなった(死因は慢性閉塞肺疾患)
♪3月10日盛大な葬儀には、川村日本大使・山形JICAニジュール支所長の他、ニジュールの大統領名代としてマラディ州知事の参列があったとのこと。

中・高校生時代
●峰山中学校時代
▼生徒会役員の懐かしい面々…谷垣君(後列左から2人目)は生徒会長を務めた。
■③生徒会中学3年.JPG
▲寡黙で思いにふける哲学少年のようだったが、決断力・行動力に富み、皆んなの信頼を得るリーダーとしての存在感があった。

▼生徒会役員たちの臨海宿泊
久美浜海水浴場近くの寺西生徒会顧問先生宅へ、昭和31年夏1泊招待して頂いた。
■④寺西先生臨海.JPG
▲懐かしい想い出!…寺西先生宅前で、谷垣・高田・菊岡各君、東・五十嵐・乃一女史と先生のお孫さん一家…♪前列中央の旧姓五十嵐(現・平井英子)さんは、「谷垣雄三医師を支援する会」の事務局長として活躍された。

●峰山高等学校時代…京丹後市は「丹後ちりめん」の産地
峰山高校は、先輩のプロ野球・野村克也元監督の出身校
我がクラスの担任・清水義一先生は、野村選手が親のように慕った恩師だった。
 (写真はNHKテレビ「野村克也・こころの遺伝子」放映画面 清水先生と若き野村選手)
64野村の遺伝子.JPG
▲僧侶でもあった清水先生は「野球技術の前に人間を磨きなさい」と諭した…と。
野村選手が三冠王を獲得した昭和48年に、67歳で逝去されたとあった。

■⑤高校の六甲山修学旅行.JPG
▲修学旅行(六甲山)…後列右から3人目が谷垣君。
♪本誌で、谷垣君の親友として紹介された級友魚住庸夫君(後列左から3人目)
①61歳で東京高裁判事を退官し、京大大学院教授在任中に平成16年3月急性肝炎で逝去(62歳)。②担当したエイズウイルス(HIV)感染の訴訟裁判で異例の「裁判長談話」を発表し、提訴から7年を経て和解を成立させた。

■⑥卒業記念写真震災記念館.JPG
▲卒業式の日のお別れ記念(丹後震災記念館前)……後列右端が谷垣君。
♪平尾君(後列左から3人目)は、「丹後ちりめん」の総元締め「㈱吉村商店(1830年創業の老舗)」の経営陣の一人として最近まで経営の一翼を担い続けた。(中列左側に前述の平井英子さんも写っている)

「谷垣雄三先生を囲む会」2007年1月…横浜港北ロータリークラブ主催
●①1902谷垣君を囲む会①歓迎会.jpg
▲2001年にJICA派遣の任期終了…公的支援は打ち切られたが自費で活動継続し、2002年自費で新センターを建設。NPO法人や港北ロータリークラブ・峰山町の支援する会・国会議員先生方など、谷垣医師の医療活動への支援の輪が広がった。

●①1902谷垣君を囲む会①記念講演.JPG
▲「先生を囲む会」で活動報告する谷垣医師…奥さんが描いたニジェール住人の生活の様子のスケッチを前に、自作の地図で活動状況を説明。

■峰山町からも参加の同級生たちと…47年ぶりの再会もあった!
●①1902谷垣君を囲む会③級友達と.jpg
▲「谷垣医師を支援する会」は高校同級生中心に金銭や、谷垣医師が必要とする医療物資(大量のタオルや新聞紙など)支援を行い、立派に役目を果たした。

●①1902谷垣君を囲む会②平尾君と記念.jpg
▲(左から)平尾君・谷垣君と…旧交を温めた貴重な記念写真となった!

●①1902谷垣君を囲む会②魚住夫人と記念.jpg
▲囲む会終了後の喫茶懇談…(左から)中村君、私、谷垣君、故魚住君の夫人


「読売国際協力賞」贈賞式…(2009年10月30日)
読売新聞社社長から賞状と副賞500万円が贈られた!
♪ニジェール共和国で30年間医療活動を行なってきた谷垣医師への支援者は多く、300名を超える盛大な祝賀パーティだった。
●①2111読売国際贈賞式.JPG
▲谷垣医師は「今日の様な日を迎ええられるとは思いもよらなかった。私を助けてアフリカの地に眠った妻・静子に感謝したい」と挨拶された。
来日はニジェールから丸3日間かかったとのこと…まさに現代の「野口英世」の生き様に喝采を送り、互いにいつまでも健康を願って握手した。
♪郷里の京丹後市・峰山からはバスで片道10時間…旧友たち約30名が出席した。


■2013年12月テレビ東京 「世界ナゼそこに?日本人」
秘境アフリカで活躍する日本人にスポットのドキュメンタリー放映。
谷垣医師の活動「知られざる波乱万丈伝」が広く世間に知らされた。
タイトル「突然の妻の死…私費で建てた病院を失い、波乱万丈72歳の外科医」


■(1969年頃)医学部制度改革闘争活動、東大紛争(安田講堂事件)に参加。
信州大学の医学部自治委員長として先頭に立って活動した。
   (写真はテレビ東京「世界ナゼそこに?日本人」放映画面)
●④インター制度廃止運動2512.JPG
▲インター制度撤廃運動、医師国家試験ボイコット活動
♪東大紛争(安田講堂事件)医学部闘争のあと、医師になっても勤務する病院は無く、土木作業などして糊口をしのぐ浪人生活が続く期間もあったという。

■1982年JICA(国際協力事業団)からニジュールに派遣
①10年間国立病院に勤務…1988年ニジュール国立大学医学部の外科医兼外科教授となり、献身的医療活動を継続した。
②外科医養成など医師を指導…現地の人々による運営で「貧しい医療体制改善のため、医療費は住民負担の地方外科確立」(持続可能体制)を目指した。
   (写真はテレビ東京「世界ナゼそこに?日本人」放映画面)
●⑥パイロットセンター2512.JPG
▲私費で建設したパイロットセンター…18年間で計12.000件超の手術を行った
♪毎日手術をこなし、テッサワの人々は「ドクター・タニ」と呼んで敬愛した。

■「私を必要としてくれる人達がいる…絶対に救わなければ」…テレビは、自分の夢に向かって必死で挑戦している谷垣医師の活動を紹介し、多くの人々の共感と感動を呼んだ!   (写真はテレビ東京「世界ナゼそこに?日本人」放映画面)
●⑤困ってる人を助けたい2512.JPG
▲執刀する手術姿を映し出す…手には台所用手袋、縫合はミシン糸、縫合する針は砥石で研ぎ、点滴液は自作…そんな工夫を次々紹介した。
経費節減のため、郷里から送ったタオルや新聞紙をガーゼ代わりに利用した。


「テッサワの丘」(峰山総合公園にある友情の記念碑)
●⑦峰山町テッサワの丘.JPG
▲アフリカの大地にて 志貫く谷垣医師へのエール…この桜(3本)に託す!


パイロットセンター
入り口扉…診療所のシンボルは「峰山の門」と命名
谷垣医師の逝去2年後…「ユウゾウ・タニガキ病院」と「シズコ保健センター」(産院)として誕生したとのこと(写真はネットから借用)
3405テッサワパイロットセンター峰山の門.jpg
♪峰山町「谷垣雄三医師を支援する会」メンバー有志は2010年1月、ここを訪問し谷垣医師の歓待を受けた。 パリ経由ニアメ空港(36時間)~車で10時間走って到着し、先生を励まされた…帰国まで全10日間超の行程だったらしい。


♪「谷垣雄三物語」の著者は「定規で一本の線を引き、その上をそれることなく進んでいく」…谷垣君はそんな生涯を送った…と、表現された。
私も、今時こんな純粋な信念を持った生き様に感動してきた一人だ。

★★★編集後記★★★
たくましく生き抜いた外科医「谷垣雄三」物語…波乱に富む記録を一気に読んだ。
彼の行動と生き様を記録に残した川本晴夫氏は、谷垣君にとっても忘れえぬ一人だろう…ここまで深くまとめて下さった筆者に有難う!

■今の時代、ここまで見事に、立派な生き様を見せた人が居たのだろうか?
①「住民による地方の外科の確立」に向かって、谷垣君は一直線に走り続けた。
ニジュールで見事に咲かせた桜の花は、自分の夢を叶えた後、あっさり散った。
②外科医のユウちゃんは、夢を叶えた後、愛する妻シズちゃんの元に帰った。
♪「定年後のスローライフ」を過ごす元小生とは全く異なる人生を歩んだ級友「谷垣雄三君」…普通のサラリーマン?には出来ない見事な生き様だった。

■(余談)小泉政権時代に、アフリカ医療貢献に対し日本政府から「野口英世賞」(賞金1億円)があるが、谷垣医師は同賞授与の話を断ったと逸話…「住民負担による地方外科医療制度構築」の目的が崩れるというのが理由だったらしい。
(完)

この記事へのコメント

2022年06月05日 22:26
はじめまして、松戸に住む者で、谷垣さんのことを多くの人に知っていただきたいと、そのためのボランティア活動を行っている者です。さきほど谷垣さんの同級生で誕生日も同じ方から、このホームページを教えていただきました。
さっそく他の記事も読ませていただき、そんなに遠くないところにお住まいかと思いました。当方はまだ悠々自適とはいかずに常磐線を利用して通勤しているのですが、金~月は悠々のまねごとをやっており、明日は10時頃に柏のbigcameraへ古いレコードプレイヤーをつなぐためのフォノイコライザーを探しに行こうかと思っていました。もし偶然にでもお会いできれば、スローライフの話などお聞かせいただければ幸いです。
悠々スローライフ「柏ゴリラ」
2022年06月06日 15:27
親愛なるコメントいただきありがとうございます。
谷垣君がいろいろ支援いただいたことと存じます。
お会いしてお話できる程のことは持ち合わせず、15年超続けている当ブログを訪ねて頂ければそれ以上のことはございません。
悪しからずご了承ください。
平井 英子
2022年08月21日 11:14
堀さん、お近くにお住まいとのこと、そんなことを言わずに安平さんに機会のある時に会って、学生時代のご存知のことなど、お話しして下さい。
中学、高校と秀才同士で肩を並べられたお二人じゃないですか?
安平さんは、谷垣さんご夫妻を紹介して頂いてる
谷垣雄三.静子夫妻記念事業実行委員会の中心メンバーで、大変お世話になっている方です。

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