鮮魚(なま)街道めぐり その①

千葉テレビの番組「鮮魚街道を歩く」が放映された。出発地は自宅から20km地点にある我孫子市・布佐。江戸時代からの歴史道・・・興味深深の散策めぐり。
放映ルートに沿って、江戸時代に栄えた鮮魚街道・まつど道30kmめぐりをスタートした。
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江戸時代、1650年ころから利根川水運の中継地として栄えた布佐の地、銚子や鹿島灘などで水揚げされた魚は舟で利根川をさかのぼり、布佐河岸に荷揚げされた。
ここから一日平均150頭の馬で松戸まで運んだその距離は7里半=約30km、この道は「なま道=鮮魚街道・まつど道」と呼ばれた。

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              利根川の布佐河岸付近の空撮 (テレビ画面より) 
松戸から再び江戸川で江戸へ送られ、銚子を夕刻出た鮮魚舟は、翌日夕刻には日本橋に着いた。年間輸送量500トン以上の魚が運ばれ、街道は大変な活況を呈した。今でもかろうじてその痕跡がちらほら残っている。
明治になり、馬に代わって鉄道が使われるようになると「なま街道」はその役割を終えた。


本日のルート
①布佐観音堂→ ②関枠橋→ ③発作新田集落→ ④最勝院・大杉神社→ ⑤長屋門屋敷→ ⑥大六天神社

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 布佐観音堂:「鮮魚街道」の出発地点。馬の慰霊のために魚問屋や馬主が建立し、馬頭観音が祀られている。

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 利根川の布施河岸跡付近:銚子の海から76km地点。夏季以外の季節はここで陸揚げされ、馬で「なま街道」経由して松戸へ送られた。夏季は魚が痛むので「いけす仕立の活舟」で関宿廻り→江戸川輸送された。

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         現在の布佐の町並み:右手前が布佐観音堂。大通りの右側に狭い旧道が残っている。

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           ②関枠橋 観音堂から約1500m、右側に手賀沼、その下流の川を渡る。

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 若山牧水歌の碑:♪はるけくてえわかざりけり沼の上や近づき来る鷺にしありけり♪の句碑が橋のたもとにあった。大正14年に手賀沼で舟遊びをした時の詩、手賀沼水質浄化運動のシンボルとして建立。

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 海野作兵衛の頌徳碑:洪水対策事業・手賀沼の新田開発に尽力した海野作兵衛氏をたたえた石碑。海野家は代々160年にわたって自分の財産を投入して事業継続、飢えに苦しむ農民を救った。
周辺10町村、農民400人の寄付でこの碑は建設された・・・と。関枠橋を渡って旧道を100m程進むとある。



③発作新田集落
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 旧道の風景:旧道沿いの発作新田集落、右手に生垣で囲まれた大きな家が並び、ほっとする景観が広がる。水害防止のためにどの家も盛り土がしてあり、道から一段高い所に建っている。

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  門構えの旧家屋敷①:屋敷前は閑静な旧道、少し離れた向こうに県道が並行して整備されている。

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              立派な植木垣根に囲まれた広大な旧家屋敷②

④最勝院・大杉神社 旧道に沿って進むと右側にある。
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 最勝院の七福神:墓地は残っているが、お寺は廃寺となり地域の集会所が建てられていた。
あっ!ここは以前来た布袋尊の七福神だ。

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               大杉神社:最勝院に隣接。

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          大杉神社境内の庚申塔群:江戸時代以降この地域は「庚申信仰」が盛んだった。
「庚申信仰」とは?・・・庚申の日に徹夜して眠らず、身を慎めば長生きできるという信仰・・・・人間の体内にいる「さんし虫」が庚申の夜睡眠中に逃げて、その人の過失を天帝に告げ早死にさせるのを防ぐ風習。

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              旧道を進むと・・・集落のはづれに、長い垣根がある広い屋敷が見えてきた。

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              ⑤茅葺の長屋門:この門から察すると相当な名家だろう!

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  木下街道交差点の庚申塔:村境で疫病が村に入ってこないように「塞の神」の役目を果たしたとか。

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 案内表示板:永治郵便局手前の旧道に入っていくと、左へ「月影の井」、右へ「大六天神社」の案内。
人家が無いさびれたエリア、この案内板のお陰で安心して神社へ到着。


大六天神社(浦部)
社殿はないが塚林そのものが社・・・・・きれいに整備された閑静な境内公園は、穴場の休憩所みたい!
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             印西八景柱「大六天の手賀沼」

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             大六天神社の小さな祠:祠は古墳上に鎮座し、参道は古墳の軸線上にある。

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 境内公園:地面には材木チップや切り株敷石など非常に良く整備されている。桜の名所でもあり、もうすぐ彼岸花も咲くらしい。

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            境内公園からの手賀川景観:当時、目の前は全面広大な手賀沼だった。

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            境内公園からの手賀干拓田んぼ景観、ここもかって目の前は全面手賀沼だった。

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            「手賀沼干拓発祥地碑」が建っていた。


★★★★★★★★ 編集後記:スポーツジム「オークス」 ★★★★★★★★★★★★★
今さら体力強化でなく「体力維持」、無理は絶対禁物・・いつまで通えるか?健康であればこそ続く。
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       ジム入り口外観:11年間、毎週月と金曜日、健康と体力維持を願って1100回を達成した。
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   トレーニングメニュー:筋肉トレーニングとストレッチ、自転車こぎと室内ゴルフに精を出している。
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    台風一過猛暑日の白い雲がきれいだった。ジムは真夏でも真冬でも適当な運動が無理なくできる。

この記事へのコメント

島の悠さん
2016年09月10日 13:56
旅から帰って一か月、漸く我に返った、減った体重は4キログラム
一気にとはいかず、腹八分で回復を目指す、
日々、元気が出てきている感じだが...暫くは自重するべきと思う
元気な「コメント」が出来なくて申し訳ないと思う、
暮れには高齢者運転講習に行って、もう一年車も運転したい願望、
足が無いとどこにも行けない不便さ..希望が少しは沸いてます。
丹後・m。
2016年09月10日 15:06
庚申信仰~・「さんし虫」てどんな虫か判りませんが、有難い信仰ですねぇ、丹後も肖りたいものです。鮮魚(なま)街道めぐり・・京都の「鯖街道」が思い出されますが、「鮮魚」にはどこでも同じような事が考えられたようですねぇ。プロ野球も終盤戦・・CLシリーズで日本一なっても意味半減・・やはりシリーズ制覇ですねぇ。パラリンピック、大相撲を・・楽しみましょう!。
島の悠さん~ゆっくり体力回復されたし・・応援してます。では・来週まで・(◍•ᴗ•◍) 。

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